ちいさなたたかいだって思いたい。
心に決する何かを云うことを、心を奮わせて誰かと会うことを。
関係ないって云ってる自分も、
確かにわたしの中にいるのだけれど。
けれど、しらないあいだに大切にしたいこと踏みつけていることが
わからなくなってる。ちょっと考えてみる。
ほんとうは、わずらわしいことも、めんどくさいことも、
もっと知りたいのかもしれない。
誰かともっと話をしたいのかもしれない。
伝えたいこと、知りたいこと、信じたいこと、
そのことが淋しさに変わっても、きっとその方が豊かだ。
ひとと、ひととが、こんがらがってもつれあって、
しんどくなったり、好きになったりって、
心が動いて、なんだかうれしい。
ちいさなたたかいを支える勇気を信じることができたら。
わたしはここにいます。あなたはどこにいますか。
豊能障害者労働センターには、障害のあるひとがいます。ないひとがいます。ひとりひとりが微妙にからみあいながら、働き、運営し、給料をつくりだしています。
働くなかで、けんかをしたり、誰かのひとりごとにワイワイ云ったり、誰かのうたう歌を好きになったり、自分たちの選んだくらしがあります。
けれど、障害があるということで、自分のくらしを選べない、ひとりのひととして生きることを選べないたくさんの現実もまたこの社会にあるのです。
だから、顔をあげて、しっかりと見すえたい。わたしたちのあしたがゆるがないことを信じたい。たくさんの現実に違うと叫ぶことが間違っているのなら、涙はどこにこぼれたらいいのだ。
こんな思いに突き動かされて、毎年のわたしたちのバザーがあります。たくさんの方々に支えられ年を追うごとに、この街に根づいた大切なバザーです。いろんなひととつながって元気になれるしあわせなバザーです。
一日、一日と近づいて、やっぱり心配でやっぱり心が躍ってる。
みんなでわたしたちが確かにいる街の風景をつなげていきたい。
どうぞわたしたちのバザーにご協力ください。
毎年、たくさんの人びとの応援で、春の大バザーを開いています。
わたしたちにとってバザーが特別なイベントになったきっかけは、1995年の阪神淡路大震災でした。
この年、わたしたちは全国の障害者運動で結成された障害者救援本部の物資ターミナルとなり、救援物資を被災地に届ける一方で、被災障害者救援バザーを開きました。
救援活動が一区切りした後も、全国からバザー用品が送られてきました。「今度はあなた方の活動に生かしてくれ。」という言葉とともに寄せられるバザー用品の山を前に、わたしたちはリサイクルショップを開くことにしました。
今では箕面市内に5つのお店を運営し、障害者スタッフが切り盛りすることで職種の開拓が進んだ他、バザーと合わせたリサイクル事業は豊能障害者労働センターの大きな柱に成長しました。
2001年9月11日の同時多発テロとアフガニスタンへのアメリカ軍の攻撃、そして2003年のイラク戦争と、平和の世紀と願った21世紀のはじまりは血に染まってしまいました。
すべてのひとがそうであったように、わたしたちもまた心をはりさけそうだけど、それにあらがう行動をどう示せばよいのか、思い惑いました。
世界中で平和を願うひとびとの行動が伝えられるさ中、そのうねりに参加することは許されませんでした。わたしたちはわたしたちで、この北大阪の地で這いつくばって日常の活動を続けなければなりませんでした。
そこで、わたしたちは春のバザーを通じて、「個性(障害)や性別、民族など、ひとりひとりのちがいを認め合い、共に生きることから平和をつくりだそう」とよびかけました。そして、バザーの売り上げからほんとうに少ないながらも、アフガニスタンで自立農業、自立経済を進めながら平和をつくりだそうとしている中村哲さんたちの活動をサポートするペシャワール会にカンパを送りました。
いま、沖縄の普天間基地の移設問題など、もっと身近なところで平和の意味とあり方をわたしたちは試されていると思います。
しかしながらわたしたちは、阪神大震災のときもアフガニスタンの時もイラク戦争の時もそうであったように、日々の活動の中で平和への意志を表すことしかできません。わたしたちの活動を捨てて参加するのではなく、わたしたちとつながってくれる地域の方々や全国の方々と共に、障害者の人権と自立経済を獲得していく運動をすすめることが、わたしたちにとっての平和への道だと思っています。
みんなでつくる春のバザーはそのことをみなさんにお伝えする、大切なイベントです。